「二本松 十万石米」とデザインの由来
「二本松 十万石米」名前の由来
二本松は、江戸時代・寛永20年(1643年)から明治元年(1868年)までの220有余年の間、初代の丹羽光重に始まり、
11代目まで続き二本松を治めました。
初代の丹羽 光重は、藩の規範となるいろいろな制度を決めたり、住居としていた二本松にある霞ヶ城の周りの街を大
規模に整備し、現在の二本松市街地の原型を築きました。
また、政治や街づくりだけではなく、茶道、絵、花道、書道の文化や、仏教や学問を二本松藩内に広めました。そんな丹羽様にあやかり、二本松といえば「二本松 十万石米」!となりますように、命名いたしました。
二本松提灯祭りと、十万石米デザイン
福島県二本松市で、今から370年前の丹羽光重公の時代に始まったと言われる日本三大提灯祭りのひとつ、『二本松提灯祭り』。
代々受け継がれた七つの各町内の太鼓台が、二本松神社のかがり火を一斉に灯して、三千もの提灯が三日間町中を照らして練り歩きます。
上図にもあります七つの紋章は、その各七町に代々伝わる紋であり、二本松市のブランド米を目指す十万石米のパッケージとして、鮮やかに彩ります。
二本松 十万石米を作ったきっかけ
平成23年3月に原発事故が起こりました。
その年でも放射能検査は大丈夫でお米も作れたのですが、『もうやめよう。』と人生で初めて、お米を作りませんでした。
橋本家は先祖代々、江戸時代よりも前から続く米農家。何百年と、お米を買って食べたことがありませんでした。
次の年、『家族が食べる分だけ作ろう』と作りました。
そして、どうせ作るならと土から見直し、またとても良い肥料とも出会い、手をかけたお米を作りました。
そしたらば、そのお米の美味しいこと!
それから2〜3年は家族のために、そのお米を作っていましたが、『このお米を是非みなさまに食べてもらいたい!』
そう思い立ち、『二本松十万石米』として売り出すことにしました。
橋本の想い
このお米は、私が丹精込めて作付けし収穫したお米です。
当地、福島県二本松は二本松藩十万石 丹羽家歴代藩主に年貢米として作付けしていたお米です。
昔ながらの農法を守り、現代の化学肥料は極力少なく、有機農法を取り入れ、微生物の活性化をはかり、害虫対策には大変苦慮しながら土壌改良に力を入れ、薬漬け農法から自然と人に優しく安心・安全でとても美味しいお米が出来上がりました。
食べても美味しく、また、その品質の良さから、みなさまへ直接販売の方法に変更いたしました。
これが私の二本松 十万石米です。
東北地方の最南にある福島県は、会津・中通り・浜通りの3地方に分けられます。
山の幸あり、海の幸あり、いろいろな食の産地です。
中通りに、二本松市はあります。
安達太良山の麓にある二本松市。
良い土、穏やかな気候、ちょうど良い寒暖差が美味しいお米を育ててくれます。